IQ 124の私の人生「野球伝統校入部~国公立大学進学~就職活動~完全無欠」

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①偏差値45の商業高校
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高校進学によって初めて直面した勉強という課題

野球伝統校の商業高校へ入学

当時、野球もキャプテンを務めていたり、周囲の人間よりも自分は死ぬほど努力をしてきたから絶対将来も明るい未来が待っている。人生の選択も自由にできるはずだ!と漠然とした自信を持っていた僕だが、進路選択の際に失望した思い出がある。

なんと自分の偏差値は50程度で極めて平均的な数値だったのだ。自分の入りたかった高校には入ることができるレベルだが、世の中に存在した偏差値という概念、そして自分は極めて限られた進路選択しかできないという状況にとても屈辱を覚えた。

ただ自分には幼少期から勉強には全く興味がわかなかったがIQテストで124をとった経験がある、周囲よりも頭は優秀なはずだという薄い根拠に基づく自信があったこともあり、野球チーム引退後の8月末くらいから10月の頭にあった習熟度テスト(このテストで大体の偏差値が図れる)に向けて、「やればできる」という自信を持って猛烈に勉強した経験がある。やり方はシンプルでテキストを中学校一年生から、その段階でも理解できない内容は本屋に行き小学生からやり直した。さらに学校の授業中に出てきた疑問点に関しては、県で一番頭の良い高校を志望している優秀な友人に質問をしまくった。

なぜ塾には行かない?

体験に行ったり、友人から聞いた情報から時間帯効果が低く、モチベーションが下がると考えたから。

なぜ先生に質問しない?

中学レベルの内容なら友人に聞いた方が理解しやすかった記憶がある。

 

そんなこんなで偏差値を短期間に10程度上げることができた記憶がある。

偏差値を図ったテストで60程度で、学校の習熟度テストでは380/500を取ることができた!

ただ、志望校は結局野球の強豪校であった地元の商業高校を志望することにした。

この選択は良くも悪くものちの人生に大きな影響を与えることになる。

 

奴隷の高校一年生時代

現代の奴隷

野球伝統校の一年生というのは簡単に言えば奴隷だ。

ただでさえ毎日、5時起き帰宅は23時頃という常識外れの日程のくせに、学校では地獄のような環境。

当時の野球部では新入生は入学時から夏の選手権までの約4か月ほどの期間はお試し期間のようなもので、

毎日、軍隊のような生活を強いられ、失敗をした際は「追い込み(簡単に言うと長時間の正座や叱咤激励暴力)」が始まる。野球がうまくなりたくて野球部に入ったのに、俺は何をしているんだ。

人間教育という割には、その苦労を乗り越えたモデルとなる先輩はどなたも道徳心に欠け、尊敬できる先輩が一人もいない。(自分がそう感じていただけで素晴らしい方々もいたはず)

さらに高校受験期の勉強をした際に社会について知ろうと読んだビジネス書がきっかけで、

世の中には野球以外の厳しい世界がしっかりあって、野球を仕事にすることができなければそちらの世界で戦わなくてはいけない、という認識があり、現状の自分の野球の能力を考えたところ、そちらの世界での準備もしなくては負けてしまうという思いがあり、そう考えると次第と純粋に馬鹿になって野球だけ見続けていた時のような情熱を野球にそそぐことができなくなっていた。

決定的だったのが、野球のある試合でスタメン出場し、4安打を記録した際に全く喜びを感じなかったこと。

それからは試合で良いプレーをしてもやる気が起きず、練習にも全く力がわかず、野球とは別の世界でどのように戦っていくのかということばかり考えるようになっていた。

ただ地獄の一年間も終わる。もうじき高校二年生になることで環境は良い方向に変わるはずだ。

ということだけ信じて日々を送った。

入学後一年間が過ぎようとしていた。

 

野球を辞め新たなスタートを切った高校二年生時代

新たなスタート

そんな時に家庭が母子家庭になるという環境の変化が起きた。

野球はおろか、高校に通う学費をアルバイトで稼ぐ必要が生まれた。

僕は野球から離れる理由ができた。

 

それからは毎日、朝から夕方まで学校、夕方から夜までアルバイト、夜から寝るまで勉強という日々が始まった。

さらに家がおじいちゃんの家に家族で住むことになり、僕は弟と二人で相部屋をすることになった。野球寮の経験をしていた僕でも相部屋で四六時中落ち着くことのできない環境にとてもストレスを感じた。弟はもっとつらかっただろう。

だが、野球部の頃の地獄に比べれば、断然楽だということ、さらに元々、主体的に努力することが得意で、強制的に努力を強いられるのが嫌いだったこともあり、自分で目標設定をして基準以上に頑張ることも調子の悪い時には早めに休んで調子をコントロールすることも、すべて自分の権限で責任を持ち行動することができることの楽しさ、さらに勉強して知識を吸収することの素晴らしさを知ったことで猛烈に努力することができた。

勉強も、中学生時代の復習からの始まりで、一年で学校の成績オール5と日商簿記検定2級や基本情報技術者、FP検定2級にリテールマーケティング2級など、将来の社会人になるということを想定した勉強まで応用することができた。

東京か地方かで迷った進路選択

迷い

そして高校三年生になった。再び、進路選択との衝突。

最終的には自分に以下の制約をつけることで解決した。

・商業高校であるという制約を生かして推薦試験での最短合格を目指す。

・母子家庭で進学するため企業の給付型奨学金を取得する。

受験に関しては受験勉強よりも商業高校出身という制約を活かした推薦試験が最適と考えた。

理由は二つあり、

・コスパが高い

・試験内容が面接と小論文など真剣に取り組むと人生において大きな資産になる分野である

奨学金に関しては自分で決めた制約で、

元々都会志向の強かった自分は東京の明治大学が自分の成績や資格取得状況的に推薦で簡単に入ることができて、偏差値的にも商学部がとても魅力的に感じていたが、母が反対し意見がぶつかったことがあった、その際に自分の東京に行くというビジョンが母を苦しめているということに気づき、地元の学費の安い国公立大学に進学し、地元企業の返済不要の奨学金を得ることで、日本一コストパフォーマンス高く大学に進学する学生になろうと決めた経緯がある。

 

結果、地元の市内にある家から通える国公立大学で四年間で240万円の奨学金を得ることを達成した。

奨学金を得た際に、それまで漠然と認識していた起業する際に夢を語り、共感を得て資本を出資してもらうという流れを疑似的に体験することができ、起業にあこがれを持った。

商業高校時代について詳しくは👇

 

そして、大学へ進学。

 

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