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IQ 124の私の人生「野球伝統校入部~国公立大学進学~就職活動~完全無欠のフィットネス」

YuToBLOGの日常
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IQ124の私の人生

 

今回は『IQ124の私の人生』というテーマ通り、小学校一年生の時に受けたIQテストで124という結果を受けた私の人生についてお話をさせていただきます。

このIQテストというのは、私自身が幼少期に通っていた能力開発教室という塾のような教育機関で受診したものです。

天才の人生が見れると期待されてこの記事を見られた方には、

申し訳ございませんが、その期待に応えることはできなさそうです。

 

なぜなら、世間一般的に言われる東大卒というような明らかなエリートの肩書きの天才というのは、

平均IQが140以上といわれています。

つまり、IQ124というのは並み以上だが、天才のようなポテンシャルは持ち合わせない。

非常に中途半端な存在です。

もちろんIQの数値

で人の器を図ることは不可能ですし、

自分自身が中途半端だなんて微塵も考えていません。

自信しかありません。笑

 

ただあまり普通の感覚ではない自分の人生について、お話をさせていただきます。

 

小学生時代

小学生時代

IQ124という結果が出たものの、学校の成績は平凡で毎日友達と外で遊んでばかりの少年時代だった。

ただ物事を考えることがとにかく大好きで、現在でも当時考えていたことの記憶が強く残っている。

特に両親の関係が悪かった問題について考えてたり、あとは学校の図書館で著名人の伝記を読むことでその人の人生について考えたりもしていた。

しかし、勉強的な記憶はそれ以外残っておらずそれ以外は毎日の遊びであったり習い事の事だった。

習い事に関しては、ピアノに能力開発教室、フットサルに野球と様々なジャンルを経験した。

ただどれもやる気は特になく、友達と遊ぶことが大好きな少年だった。

中学生時代

中学入学

中学生からは野球のクラブチームで本格的に野球を始めた。

ただ体が小さいこともあり、思ったような結果が残せなかった。

毎日、なんでこんなに練習しているのに打球が飛ばないのか、もっと足が速くならないのか、肩が強くならないのか、そんなことばかり考えていた。

このころに毎日、素振りに坂道ダッシュ、壁あてなど自主的に目標に向かって自分でプログラムを立てて練習を行っていく。試行錯誤していくという習慣を身に着けることができたと思う。

勉強に関しても相変わらず中途半端で全くやる気がない状態。

 

転機は中学二年生時に元プロ野球選手が運営する野球塾に入塾したこと。

その際に野球のイロハを学び、打撃や守備の本当の意味での基本を習得した。

元々の練習量と重なり、大きく成長することができた。

それまでは下位打線でポジションも外野手という中途半端な選手だったが、

徐々に肩が強くなったことで捕手や投手を務め、打撃力が上がったことでクリーンナップを任せられるようになった。さらにその野球塾の代表がクラブチームを新しく作るという関係で、そのチームでキャプテンをするという経験もできた。

自信をつけた僕は、高校進学も野球の強豪校に進学することを決める。

ただ高校進学の際に初めて勉強の課題に直面をした。

高校進学によって初めて直面した勉強という課題

野球伝統校「広商入学」

当時、野球もキャプテンを務めていたり、周囲の人間よりも自分は死ぬほど努力をしてきたから絶対将来も明るい未来が待っている。人生の選択も自由にできるはずだ!と漠然とした自信を持っていた僕だが、進路選択の際に失望した思い出がある。

なんと自分の偏差値は50程度で極めて平均的な数値だったのだ。自分の入りたかった高校には入ることができるレベルだが、世の中に存在した偏差値という概念、そして自分は極めて限られた進路選択しかできないという状況にとても屈辱を覚えた。

ただ自分には幼少期から勉強には全く興味がわかなかったがIQテストで124をとった経験がある、周囲よりも頭は優秀なはずだという薄い根拠に基づく自信があったこともあり、野球チーム引退後の8月末くらいから10月の頭にあった習熟度テスト(このテストで大体の偏差値が図れる)に向けて猛烈に勉強した経験がある。やり方はシンプルでテキストを中学校一年生から、その段階でも理解できない内容は本屋に行き小学生からやり直した。さらに学校の授業中に出てきた疑問点に関しては、県で一番頭の良い高校を志望している優秀な友人に質問をしまくった。

なぜ塾には行かない?

体験に行ったり、友人から聞いた情報から時間帯効果が低く、モチベーションが下がると考えたから。

なぜ先生に質問しない?

中学レベルの内容なら友人に聞いた方が理解しやすかった記憶がある。

そんなこんなで偏差値を短期間に10程度上げることができた記憶がある。

 

ただ、志望校は結局野球の強豪校であった広商を志望することにした。

この選択は良くも悪くものちの人生に大きな影響を与えることになる。

 

奴隷の高校一年生時代

現代の奴隷

野球伝統校の一年生というのは簡単に言えば奴隷だ。

ただでさえ毎日、5時起き帰宅は23時頃という常識外れの日程のくせに、学校では地獄のような環境。

当時の広商では新入生は入学時から夏の選手権までの約4か月ほどの期間はお試し期間のようなもので、

毎日、軍隊のような生活を強いられ、失敗をした際は「追い込み(簡単に言うと長時間の正座や叱咤激励暴力)」が始まる。野球がうまくなりたくて広商に入ったのに、俺は何をしているんだ。

人間教育という割には、その苦労を乗り越えたモデルとなる先輩はどなたも道徳心に欠け、尊敬できる先輩が一人もいない。(自分がそう感じていただけで素晴らしい方々もいたはず)

さらに高校受験期の勉強をした際に社会について知ろうと読んだビジネス書がきっかけで、

世の中には野球以外の厳しい世界がしっかりあって、野球を仕事にすることができなければそちらの世界で戦わなくてはいけない、という認識があり、現状の自分の野球の能力を考えたところ、そちらの世界での準備もしなくては負けてしまうという思いがあり、そう考えると次第と純粋に馬鹿になって野球だけ見続けていた時のような情熱を野球にそそぐことができなくなっていた。

決定的だったのが、野球のある試合でスタメン出場し、4安打を記録した際に全く喜びを感じなかったこと。

それからは試合で良いプレーをしてもやる気が起きず、練習にも全く力がわかず、野球とは別の世界でどのように戦っていくのかということばかり考えるようになっていた。

ただ地獄の一年間も終わる。もうじき高校二年生になることで環境は良い方向に変わるはずだ。

ということだけ信じて日々を送った。

入学後一年間が過ぎようとしていた。

 

野球を辞め新たなスタートを切った高校二年生時代

新たなスタート

そんな時に家庭が母子家庭になるという環境の変化が起きた。

野球はおろか、高校に通う学費をアルバイトで稼ぐ必要が生まれた。

僕は野球から離れる理由ができた。

 

それからは毎日、朝から夕方まで学校、夕方から夜までアルバイト、夜から寝るまで勉強という日々が始まった。

さらに家がおじいちゃんの家に家族で住むことになり、僕は弟と二人で相部屋をすることになった。野球寮の経験をしていた僕でも相部屋で四六時中落ち着くことのできない環境にとてもストレスを感じた。弟はもっとつらかっただろう。

だが、野球部の頃の地獄に比べれば、断然楽だということ、さらに元々、主体的に努力することが得意で、強制的に努力を強いられるのが嫌いだったこともあり、自分で目標設定をして基準以上に頑張ることも調子の悪い時には早めに休んで調子をコントロールすることも、すべて自分の権限で責任を持ち行動することができることの楽しさ、さらに勉強して知識を吸収することの素晴らしさを知ったことで猛烈に努力することができた。

勉強も、中学生時代の復習からの始まりで、一年で学校の成績オール5と日商簿記検定2級や基本情報技術者、FP検定2級にリテールマーケティング2級など、将来の社会人になるということを想定した勉強まで応用することができた。

東京か地方かで迷った進路選択

迷い

そして高校三年生になった。再び、進路選択との衝突。

最終的には自分に以下の制約をつけることで解決した。

・商業高校であるという制約を生かして推薦試験での最短合格を目指す。

・母子家庭で進学するため企業の給付型奨学金を取得する。

受験に関しては受験勉強よりも商業高校出身という制約を活かした推薦試験が最適と考えた。

理由は二つあり、

・コスパが高い

・試験内容が面接と小論文など真剣に取り組むと人生において大きな資産になる分野である

奨学金に関しては自分で決めた制約で、

元々都会志向の強かった自分は東京の明治大学が自分の成績や資格取得状況的に推薦で簡単に入ることができて、偏差値的にも商学部がとても魅力的に感じていたが、母が反対し意見がぶつかったことがあった、その際に自分の東京に行くというビジョンが母を苦しめているということに気づき、地元の学費の安い国公立大学に進学し、地元企業の返済不要の奨学金を得ることで、日本一コストパフォーマンス高く大学に進学する学生になろうと決めた経緯がある。

 

結果、地元の市内にある家から通える国公立大学で四年間で240万円の奨学金を得ることを達成した。

奨学金を得た際に、それまで漠然と認識していた起業する際に夢を語り、共感を得て資本を出資してもらうという流れを疑似的に体験することができ、起業にあこがれを持った。

 

色んな世界を知った大学1~2年生時代

好奇心の赴くまま

大学に入ってからはもともと考えていた通り、いろんな事に挑戦をした。

音楽バンドにアパレル店員、ゴルフに筋トレといろんなことを経験した。

特にバンドでは全くの素人の状態でメンバーを集めること、人前で歌を歌うことという新鮮且つ強烈な体験をし、

アパレル店員では売り上げ一位を達成したりした。

それまで全く興味のなかった音楽やファッションについて勉強することができた。

そんなこんなで大学生の下級生期には勉強は全くしなかったが毎日を活動的に、結婚を考える彼女を作るなど、充実した日々を送ることができた。

考え方が一新された大学3年生時代

転機

大学3年生の時に自分の人生にとって最も衝撃的な事態が起きた。

弟が病気を患ったのだ。結局、命に別状はなかったのだが、弟は残りの人生で毎日、薬を欠かさず飲まなくてはいけない。その薬も副作用が強く、中々合う薬を見つけることができなかったりで弟が苦しむ姿、さらにお金もかかることでお母さんの苦悩、を体感することで自分がしっかりとしなくてはいけないという使命感を強く感じた。

弟の病気が発覚してから詳しい病気の進行状況などを確認するまでは毎日が不安でたまらないという日々が続いた。

その中で

・命の儚さ

・並み以上の経済レベルを手に入れなくてはいけない

ということを知った。

命の儚さを知ったことで毎日の日々を一日の大切さを再認識し、一秒たりとも無駄にしてはいけない。生きたくても生きれない人や満足に生活ができない人のためにも。

並み以上の経済レベルを手に入れるには、人並み以上に世の中に目の前の人に価値を提供できる人間。つまり、影響力のある人間にならなくてはいけない。ということを知った。

ここで僕の中のビジョン「影響力のある人間になる」「自分のメディアを作る」が生まれた。

 

大学三年生からはとりあえず世の中を知ろうと、全国の企業のインターンシップに参加し、様々な土地の学生と関わることや様々な業界の企業の文化を知ることができた。

就活~現在(大学4年生)

自分のメディアを確立する。

最終的は20代でどれだけ激しく働くことができ成長できるか、尚且つ働いた分の給料がしっかりと若いうちからもらえる企業を選んだ。ちなみに就活は費用の制約から2社しか受けないという強気の戦略で2社から内定を得て終えた。

現在はフィットネスの分野に注目をして独立を目指して毎日、ボディーメイクと情報発信を続けている。

なぜフィットネスか?

フィットネスの可能性

人を幸せにすることができると信じているから。

自分自身、弟が病気になった際に自分は絶対に病気にならない、健康には細心の注意を払った。

さらに元々、高校時代から自分の生活の効率を追い求めた結果、バターオイルコーヒーを使った断続的ファスティングを続けてきたりと、何かと人生の局面で健康の重大さに気づき、独自のソリューションを体現してきていた。

フィットネスやこの健康という分野はまだまだ偏見があったり派閥があったり、等々、

一般な人が関わりづらい、もしくは中途半端に関わり本当の恩恵を得ていない分野であると考えています。

 

ここで自分が救われたバターオイルコーヒーを基本とした完全無欠の健康法というものを広めたい。

という思いがあり、YouTubeの情報発信を通じて、自分が本当に伝えたいものは何かということ、

さらには共感してくれる「仲間」を見つけることでより鮮明なものにする。

さらに自分の体という最もわかりやすいハードを完全無欠に仕上げることで説得力をつける。

 

友達と仲間の違い

 

友達は一緒にいてただ楽しい存在。

仲間は目的に向かって切磋琢磨し研鑽しあえる有志の事。

情報発信を通じて友達やフォロワーは本当の意味で求めていない。

仲間を増やすことを最大の目的に設定している。

 

もっと多くの人を幸せにできる人間になる。

夢・志

僕の人生は幼少期にIQ124をとったことで、自分に自信を持てたことで

壁に直面した際も前向きに常に自分を信じて乗り越えることができたと思う。

 

自分の長所として自信があるところ、と人から言われたことがある。

つまり、自信とは魅力でもあるのだ。

 

それが例え淡い根拠からなるものでも、

IQというような確かなものでなくても、

人は自信を持つことで、

自分を信じることができるということだけで、

強くなれると思う。

 

もっと多くの人を幸せにすることができるのはフィットネスだと思う。

なぜなら、フィットネスで体を鍛えることで、

自分の中で最もわかりやすい指標の体に自信を持つことができるからだ。

自信は魅力。そして、その自信を誰でも簡単に生み出せるフィットネス。

僕はそのフィットネスをより多くの人に広めていきたい。

これがIQ 124の私の人生である。

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